OMORI考察まとめ

みんなOMORIやろうぜ 英語版の内容に基づいています

結局OMORIって何者なのさ

※ゲームにおける重大なネタバレあり

 

…。

 

……。

 

これを書くのは少し抵抗がある。

 

「OMORI考察まとめ」ブログを名乗っておいてなんだが、このブログではOMORIの登場人物とかに直接触れることはなく、元ネタや小ネタの紹介にとどまってきた。

 

それはRPGが本質的に「プレイヤーとゲームの一期一会の物語」であるからだ。OMORIが私にとってどうであるのかを、さも誰にとっても同じであるかのように語るのはよくない。

 

しかし、昨日発表された公式漫画を見て、自分がそれなりにゲームから読み取ってきた人物像とずれが生じた。そこで、「どこまでは作品中で語られているか」「どこからは想像の範囲内なのか」をもう一度まとめておきたい。

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OMORIの誕生日 ~Fly Me To The Moon (in OTHERWORLD)~

※このブログのすべての投稿には、ゲーム「OMORI」についての重大なネタバレが含まれます

 

OMORI/SUNNY、誕生日おめでとう!

 

 

さて、OMORIの主要キャラクターには誕生日が設定されている。SUNNYとBASILの誕生日については写真アルバムの日付から分かるが、ほかの4人についてはゲーム発売後に公式Twitterで発表された。

 

 この内MARIの誕生日、3月1日についてはMarch 1st = MAR1というシャレから設定されたのではないかと言われている*1。HEROとKELの誕生日が1/1、11/11となっているのも何かしら意味はありそうである。というかHERO、これ誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが一緒にされてしまうパターンだな?

 

その中でも特に気になるのが、OMORI(≒SUNNY、名前が出ていないのはプレイヤー側で名前を変えられるからか)の誕生日、7月20日である。実はこの日付、ゲーム中のとある場所で言及されているのだ。

 

*1:ちなみに、アメリカでは同様の発想で3月10日(Mar. 10)が「マリオの日」と設定されているんだとか

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OMORIの音楽 ~ライトモティーフ、好きですか?~

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ライトモティーフ(ライトモチーフ、独: Leitmotiv)とは、オペラや交響詩などの楽曲中において特定の人物や状況などと結びつけられ、繰り返し使われる短い主題や動機を指す。単純な繰り返しではなく、和声変化や対旋律として加えられるなど変奏・展開されることによって、登場人物の行為や感情、状況の変化などを端的に、あるいは象徴的に示唆するとともに、楽曲に音楽的な統一をもたらしている。示導動機(しどうどうき)とも。  

──Wikipediaより

 

ゲーム音楽を説明する際、最も頻繁に聞かれる言葉の一つがライトモティーフだ。非常に簡単に言えば、「各登場人物・場所・状況に割り当てられたメロディー」である。

OMORIを例に挙げよう。OMORIがBERLYたちと遊ぶことになるPLAYGROUNDで流れる曲が、次の「Let's Get Together Now!」だ。

一方、現実世界でSUNNYが訪れるFARAWAY PARKのテーマ曲は次の「Where We Used To Play」だ。

二つを聴き比べてもらうとわかるが、どちらも同じメロディーを使っている。ここから、HEADSPACEのPLAYGROUNDとFARAWAY PARKに密接なつながりがあることが示唆されるのだ。 これがライトモティーフの基本である。「以前、この曲をどこかで聴いたな……」とプレイヤーに想起させることで、直接言葉には出さず関係性を暗示する技法だ。

似た例として、次の2曲がある。

Pyrefly Forestの出口でピクニックをすると、MARIから「この辺りの地下には広大な図書館があるらしい」という噂を聞くことができる。その後、OMORIはSWEETHEART'S CASTLEに空いた巨大な穴に飛び込み、実際に図書館に到達する。「Pyrefly Forest - Cat's Cradle」と「Lost Library」の2曲が同じメロディーを有していることから、この2か所が実質的に同じ場所にある(地上と地下に分かれている)ことが示唆される。

 

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OMORIと文学作品の関係 その3 村上春樹

※このブログの全ての投稿にはゲーム「OMORI」についての重大なネタバレがあります

 

──あちら側というのは、暗い場所になるわけでしょうか。

そうとも限りません。むしろ、好奇心と関係している気がします。ドアがそこにあって、開くと、別の世界へ足を踏み入れられる、好奇心そのものです。向こうはどうなっているのか? そこはどんな所なのか? 日々そうしたことを、僕は体験します。小説を執筆中は朝の4時ごろに起き、自分のデスクに向かい、書き始める。これらは、現実の世界で起きることです。僕は現実のコーヒーを飲む。

──村上春樹、井戸の底の世界を語る:The Underground Worlds of Haruki Murakami, Wired

 考えたことはないだろうか。HEADSPACEの水中世界が"DEEP WELL"「深い井戸」と呼ばれるのはなぜか(井戸は入口にしか過ぎないのに?)そしてその深奥、HUMPHREYがいる場所はなぜ"DEEPER WELL"と呼ばれるのか?

 

明らかに、井戸には井戸以上の象徴がある。

 

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井戸。
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OMORIと文学作品の関係 その2 ドリアン・グレイの肖像

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みずからの主人である人間は、自由に悦びを創りあげることができるし、また、それと同じに、容易に悲しみに終止符を打つこともできるのだ。ぼくは自分の感情のとりこにはなりたくない。逆に、感情を利用し、享楽し、支配したいのだ」

オスカー・ワイルド, 福田恆存訳「ドリアン・グレイの肖像」(新潮文庫

初めに断っておくが、このページの考察はRedditに投稿された、次の指摘をベースにしている。

www.reddit.com

youtu.be(OMORIのデモ。"A bookshelf filled with books from Dorian Gray"という文章が確認できる。)

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OMORI 主要登場人物の名前

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※英語版の内容に基づいています

 

登場人物の名前の由来について、言われているところをまとめてみよう。

 

 

 

OMORI: 「omoriは『hikikomori』の省略形だ」(Omoriboy's Blogより)

OMORIが(真実を封じ込める)「重り」、あるいは(SUNNYを自己嫌悪から、あるいは家の外のあらゆるものから守る)「お守り」を示すという考察は英語圏でも広まっているらしい。また、どこかのコメントでは「Neighbor's Roomが位置するVast Forestが日本語で「大きな森」を意味するんだ」と指摘していた。

これは作中で明言されているOMORIというピアノブランドが、恐らく「大森(楽器)」*1からとられていることを考えるとありえなくはないと思う。*2

 

AUBREY: AUBREYを象徴するのが彼女の持っているぬいぐるみ、「Mr. Plantegg」である。

茄子のアメリカ英語での呼び方がEggplant、イギリス英語での呼び方がAubergineであり、ここから彼女のフルネームがAubergineである、という共通認識が割と英語圏のファンではなされているようだ。なすびちゃん。

2022年7月8日追記:

上で取り消した内容は間違いで、Aubergineという言葉は人名には使いません。

SUNNY, BASILなどは「珍しいけど実際に使われている名前」なので調べるといくつか出てきますが流石にAubergineはない。

本名はAUBREYで、彼女の愛称がなすびになった由来がAubergineなのだと思います。

 

KEL: Fandom Wikiによればアメリカのシチュエーションコメディ「Keran & Kel」が元ネタ。オレンジの炭酸飲料への愛もそこから来ているようだ。

なお、2014年のデモではKELSEYという名前だった。

youtu.beいくつかの情報をあたってみると「AUBREY」はどちらかというと男性名、「KELSEY」は女性名に使われることが多いようだ。*3

 

HERO: HEROの名前自体は作中言及があるように、ヒーローサンドイッチから。硬いパンに肉や野菜を挟むものをサブマリンサンドイッチ(サブウェイで売ってるようなタイプ)というが、ニューヨークではヒーローサンドと呼ばれているらしい。

なおCLUB SANDWITCHの店主HOAGIEも同じサブマリンサンドイッチの別名(ホーギーサンド)が由来。その相方ルーベンも(なんならクラブ・サンドイッチという店名も)サンドイッチの名前からとられている。

 Fandom WikiによればHEROのファイル内部で設定された名前は「HENRY」だという。とはいえ、これはゲーム内部では決して言及されておらず、没設定である可能性もある。

 

MARI: 明確に日本人名を意識してつけられている唯一のキャラクター(SUNNYくんがいかにもデフォルトネームっぽいのとも対比)。しかし、他のSOMETHINGたち…DROTHI, CINDI, NANCI, SALLIが「英語圏の名前+ 最後のYをIに変換」という規則を守っているのを考えると、MARIもMARYからきている可能性はある。*4

 

BASIL: もともとはROWANという名前を設定されていたが、途中からBASILに変更された。次回のページはそれについての考察になる予定。

なお、バジルの植物名の由来はギリシャ語の「バジレウス」(君主)からきている。彼が花の王冠を被っているのはそれを意識したものか。

追記: 2022年2月18日のOMOCATの配信で、バジルに相当する人物はFLOWER→ROWAN→BASILと名前が変わっていったという発言があった。

 

追記: 2023/08/09 

2023年7月29日(日本時間)、OMOCATの配信の中で、登場人物の名前をどう思いついたかという質問に回答している。

"How did I come up with the character names and OMORI?"

Um, honestly it's been so long I don't remember anymore, I don't remember how their names came to be...
But I do know, I do remember that SUNNY's name was really, really last minute, it was like really last minute because we didn't, we couldn't decide what to name him.
So super last minute, last name. I don't really remember the other ones, unfortunately.

I mean there is meaning behind SUNNY's name that's, I was wondering if it was not obvious but too heavy-handed, but I ended up thinking that it was good, so I did it.

I named him SUNNY.*5

 

(日本語意訳)

「どうやってキャラクター名と「OMORI」を思いついたか?」

正直に言って、あまりに前のことでどうやって思いついたのか何も覚えていないけど……

でもよく覚えているのは、サニーの名前は本当に、本当に最後の瞬間に決まったってこと。全然名前を決められなかったから。

つまりその、サニーの名前には隠された意味があるんだけど、分かりにくいしやりすぎかなと思った。でも結局そっちのほうが良いと思ったから、そうした。サニーって名付けることにした。

 

後記:

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SWEETHEART'S CASTTLEのRoyal Chamber Roomを管理しているCASTELLA, 日本人だと「カステラだけが部屋に入れるってなんだ?」と混乱するポイントと思われるが、英米圏だと普通に人物名としてとらえているんだろうか?
ittr.com/OMORI_GAME/status/1390044680419569664?s=20

*1:YAMAHA(山葉)、KAWAI(河合)などと同じく創業者の名字からとっていると仮定して

*2:ときどきSUNNYのラストネームがOMORIだ、とする人も見かけるが、それだと教会においてあるピアノに「OMORI」の銘があることが説明できない。OMORI君このメーカーの関係者なの?という疑問がわく

*3:元々OMORIの性別はプレイヤーが開始時に選べるよう開発が進められていた。AUBREYの性別はOMORIに合わせて変化する予定だったので、どちらにも使える名前が選ばれたのだと思う。

*4:MARYは英語圏での聖母マリアの呼び名でもある。MARIを表す花であるスズラン、Lily of the Valleyは別名をMary's tearsといい、聖母マリアが流した涙が花になったという伝説が残されている。

*5:Youtubeアーカイブより。OMOCAT, "OMOCAT Draw KEL ADVENTURE 2!" https://www.youtube.com/watch?v=IuFEaE3S81E 1:43:23~, 2023年8月9日閲覧。文字の書き起こしと日本語訳は筆者による。

OMORIと文学作品の関係 その1 オイディプス王

こういう作り方は、ビデオゲームでは、ほかに例を知らない。近いものを挙げれば文学になるが、中勘助の『銀の匙』だろう。あの作品では、たがいに関連がないように見える(したがってすべてが余録に見える)子供時代の回想が、終盤部の、あるひとつの現在の〈現実〉に結びつけられることで、それまで繋がりがわからなかった個々のシーンが、一気に読者の記憶から呼び覚まされ、肉迫してくる。ようするに、中勘助が洗練された文章で読者を引っ張ったように、『OMORI』はグラフィックと音楽とテキストと演出で、プレイヤーを最後まで引っ張ったのだ。

ひきこもり少年の精神世界を描くホラーRPG『OMORI』コラム――ゲーム内容の8割が夢の中である理由と幻想的な物語構造の新奇さについて

 「OMORI」というゲームの独創性は、ひとえに藤田祥平氏が上記のコラムで指摘した点にかかっている。プロットだけでなく、手法でさえ独創的とはいえないかもしれない。しかし、物語としては何百年、何千年と使い古されてきた形式を、圧倒的な情報量とその有機的な結合によって語り直し、没入感を高めている。そのため、メインストーリーだけでは話がまるでわからず、非常に要約がしにくい作品になっている。

それは通常のゲームというより、小説に近い。そして、実際にこのゲームがいくつかの文学作品に影響されていることが示唆されている。

 

「『OMORI』のプロットそれ自体は、物語に親しんだ人間ならば、そこまで新しいものではない。大胆に要約すれば、ある少年が過去に犯した過ちを見つめ直す、といったものになるだろう。」(同コラムより)

 

 

OMORIの起源が製作者OMOCAT氏の制作したブログ漫画であることは知られているが、この時点では「ひきこもりの少年と空想の世界」というコンセプトは確立しているものの、まだ物語の根幹…SUNNYの罪とその贖罪というテーマはまだ決まっていなかったように思える。

さてこのプロットの起源はどこなのだろうか。

推測になるが、それは名高い古典ギリシア悲劇ソフォクレスの「オイディプス王」である。

 

オイディプス (略) もしお前たちのうちに、ラブダコスの子ライオスが誰の手にかかって、最期をとげたかを知る者があれば、私はその者に命ずる、その旨を包まずこのわたしに申し出よ。

(略)

テイレシアス わしの気性を責めながら、あなたと一緒に住んでいる自分のものがみえぬのか。そしてこのわしばかりを咎めなさる──。

(略)

テイレシアス きたるべきものは、おのずからやってこよう。いまこのわしが、口をつぐんで蔽っておいても──。

オイディプス王」は世界初の推理小説とも称される筋立てをもっている。テーバイの街の王オイディプスは都市を襲う飢饉に苦しんでいたが、ある日それは「先王ライオスを殺した犯人がいまだに処罰を受けていないからだ」という神託を受け取る。かくしてオイディプスは犯人捜しを始めるが、賢者テイレシアスが強要されて喋った内容は「犯人はオイディプスその人である」ということであった。

オイディプスはそれを否定する、なぜなら自分はキタイロンの山奥で育ったのであり、「お前は将来父を殺し母親と交わる」という神託を受けたから遠く離れたテーバイの地にやってきたのだと。だが一度は王座を狙うための陰謀と片付けた後にオイディプスは考え始める。そういえば昔、三又路にて突然襲い掛かってきた老人を殺したことがあった。あの時の老人の描写は、伝え聞く先王ライオスのそれと似てはいないか?なぜ妻のイオカステは話を聞いた後、蒼い顔をして出て行ったのだろうか?

果たして使者が届き、オイディプスを育てたのは実の親ではなかったこと、ライオスとイオカステの間に生まれた子供は「将来父親を殺し、母親と交わる」と予言されたため殺されるよう命令されたこと*1、だが使者は情にほだされ、赤ん坊を殺さずに山奥に捨ててきたことが判明する……そして気づいた時には、イオカステは首を括って死んでいた。

かつして、

あのかたは、妃の上衣を飾っていた、黄金づくりの留金を引き抜くなり、高くそれをふりかざして、 御自身の両の眼ふかく、真向から突き刺されたのです。こう叫びながら。──もはやお前たちは、この身にふりかかってきた数々の禍も、わしがみずから犯してきたもろもろの罪業も、見てくれるな!いまよりのち、お前たちは暗闇の中にあれ!目にしてはならぬ人を見、知りたいとねがっていた人を見わけることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ!(以上,藤沢令夫訳「ソポクレス オイディプス王岩波文庫による)

 オイディプスは最終的に真実を知るが、彼はその罪と悲惨な結果を直視できず、目をつぶしてしまう。SUNNYがBASILと対面したとき、片目をつぶされるのは示唆的である。*2

 

オイディプス王は今から2400年ほど前に書かれた作品であり、派生作品も当然多い。使い古された内容とも言ってよい。だが、プロットとして抜き出したときの「過去に犯した罪を見つめなおす」という要約と、このゲーム自体の体験からもたらされる感情が驚くほど違うのも事実だ。

その既視感と新鮮さの組み合わせが、OMORIを新しいゲーム体験たらしめている要素であろう。

 

オイディプスがこれほど有名になったのは、フロイト精神分析学で「エディプス・コンプレックス」として大々的に取り上げられたからだ。権力をもった父親を殺すというテーマに着目した結果だが、当然そうした読みには批判もある……というか、最近ではさすがにフロイト流の文学の読み解きは少なくなってきた。

OMORIについても、父親殺しというテーマはほとんどない(SUNNYの父親についてはほとんど描写されず、また反抗心を抱いたという描写もない)。あえて「父親殺し」に近いものを挙げるとラストのOMORIとの戦闘になるが、これも「無理やり当てはめるとそうなる」といった感じがある。むしろ原作のオイディプスがもつ、避けようのない悲劇と、それに立ち向かう人間の実存といった部分がいかされているのはすでに述べた通りである。

とはいえ、フロイト的な見方が完全に否定されているわけではない。なんといっても「夢判断」を出版した第一人者を無視するわけにもいかない。フロイト心理学の観点から見た「OMORI」については別稿にゆずる。

 

オイディプス王」と「OMORI」をさらに比較してみよう。アリステトテレスの「詩学」では次のように述べられている。

悲劇とは、真面目な行為の、それも一定の大きさを持ちながら完結した行為の模倣であり(略)[ストーリーが観劇者に生じさせる]憐れみと怖れを通じ、そうした諸感情からのカタルシス(浄化)をなし遂げるものである。

アリストテレス, 三浦洋訳『詩学』, 光文社, 古典新訳文庫より

アリストテレスは憐れみや怖れを呼び起こすためのストーリー展開として「逆転」と「再認」を挙げる。逆転は人が良かれと思って起こした行動が正反対の結果をもたらしてしまうこと、再認は登場人物が(知っていたものを、もう一度知りなおす形で)真実を認識することを指す。オイディプス王の中では、使者がオイディプスの悩みを取り除こうとして昔の話をし、かえってオイディプスに耐えがたい真実を知らせてしまう。このように逆転と再認が同時に起こる状態を、アリストテレスは最も優れた例としている。

 

ひるがえってOMORIに戻って考えれば、あの黒い写真を集めていく場面が、同様に逆転と再認の機能を果たしている。プレイヤーはSUNNYと共に知っていたはずの真実を知り、何者かなんとなく推定できていたSOMETHINGの「真の」正体を見つけショックを受ける。そしてそこで語られるのは、BASILが何よりもSUNNYのことを思っていたこと、そしてその思いの結果こそが彼らを苦しめる原因になっていたことだ。

 

こうして高められてきた緊張はBASILとの戦闘を通じて高まり、そして最終決戦でカタルシスへと変わる。このような点でも、OMORIは(意識的かどうかは別にしても)古典的な悲劇の形式を踏襲しているといえるだろう。*3

*1:すなわちオイディプスの悲劇をもたらしたのは「お前は将来父親を殺す」という神宣そのものであったということであり、これは「予言の自己成就」の例として詳しく研究されてきた。OMORIではぴったり当てはまるものはないが、"Everything is going to be okay"(みんなうまくいくようになるから)という言葉が逆にSUNNYとBASILを追い詰めていくところに、似た空気を感じることができる

*2:両目をつぶされるとさすがにゲームとして進行が難しくなるし、彼の場合は罪を隠していたのは4年間であるから、まだ真実を知ることの代償が小さかったともいえる

*3:アリストテレスはいう「(ストーリーには)まず何よりも、不合理な部分をまったく含まないようにすべきである。もしも避けられない場合には、『オイディプス王』の中で、先王ライオスがどのようにして亡くなったのかをオイディプスが知らないでいるように、ストーリー化される内容の外に置くべきである」(アリストテレス, 三浦洋訳『詩学』, 光文社, 古典新訳文庫)。OMORIでよく指摘される、「偽装工作を行っても、検死をしたらSUNNYとBASILの犯行はばれるのではないか」という点だが、この不自然さは同じくストーリーに関わらないところに上手く隠されている。