OMORI考察まとめ

みんなOMORIやろうぜ 英語版の内容に基づいています

Not Good Ending(グッドエンディングについての考察)

※このブログのすべての投稿にはゲーム「OMORI」についての重大なネタバレが含まれます

 

3月は忙しくて記事を書けなかったが、1日のマリの誕生日から始まりSwitch、PS4版発売の発表、中国語、韓国語のローカライズなど大きなイベントの連続だった。また日本語版の文章もアップデートされ、以前から指摘していた「Gキーの場所」「マリの墓に供えられたスズラン」が修正されているのが本当にありがたい。失われた図書館の□の数など重大なミスも残ってはいるが、今後のアップデートで直されると期待している。

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中国語のPizza Job。日本語版では英語のままだったが、韓国語と中国語バージョンだとここも翻訳されている。羨ましい(がどっちにしろ読めないんだろうな)。

また、日本語版リリースから4か月がたち、日本におけるOMORIファンコミュニティも非常に大きくなってきた。鋭く面白い視点から考察をされてる方も多く、OMORIを盛り上げたいという気持ちで始めたこのブログもそろそろバトンタッチの時期かなと思っている。とはいえ、書きたいものがある限りは細々と続けていると思います。

そんな中、少しコメントしたくなる考察を見かけたので紹介。

グッドエンディングはハッピーエンドなのか?

グッドエンディングではサニーが「伝えたいことがあるんだ」と言った後、どのような話があり、ケル、オーブリー、ヒロがどんな反応を返したのかは全く描写されていない。それはこのゲーム内で扱われる必要がないことだし、完全にプレイヤーの想像の自由に任されている、という指摘を以前したことがあった。

似たような考察についてはSNS上でも多く見られるし、IGN JAPANに3月掲載された記事ではこの点についてよくまとめられている。

jp.ign.com

気になる点はいろいろあるが、やはり「物語がサニーの視点でしか描かれていない」のが一番の問題だといえる。最終的に彼は「友達が受け入れてくれる」と考えて告白に踏み切るのだが、そう言ってくれた友人はあくまで夢のなかの存在だった。現実の友達が真実を受け止めてくれるかどうかは描かれていない。(IGN JAPAN)

OMORIはその半分以上をサニーの心象世界の描写に割り振っている。そのため彼の心情は細かくどこまでも追うことができるが、外の世界で起きている「事実」については断片的にしか明かされない。

多くの人が考察し、先ほどの記事でも触れられている「マリが死んだのはいつか?」について考えてみよう。

そもそも、12歳そこらの子ども2人が死体を抱え、木に吊るし、その犯行がばれないなんてことがあり得るのだろうか?さらにマリが膝を痛めていたとはいえ、階段から落ちて即死というのはあり得るのか?サニーが確認したマリの死は本当だったのか?

本当は、サニーとバジルがマリを木に吊るしたときに絶命したのではないか?

マリの死の周りの設定が、あまり現実的でないのは確かである。というか、現実的な想定であっては困る。大半の映画の描写が実際には起こりえないように、OMORIの事件の設定も明らかな「フィクション」だ。
重視されていているのはそこではなく、彼らの抱える感情と、状況、そして選択肢の方だ。

更に考えるとこの問題が明確になる。私たちがマリが死んだタイミングが分からないように、サニーにもあのときの真相は分からないままなのだ。*1

死、別れ、忘却

家族、親しい友人やペットを亡くし、悲しみに暮れる人がいる。それはかつて時を過ごした相手ともう会うことができないという喪失感と、「あのときこうすればよかった」「あのときあんなことを言わなければよかった」という自責の念と後悔によるものだ。

サニーほど死に重大な責任を持っていないとしても、その抱える感情は同じだ。あの人が生きていた頃のまま、時が止まってくれたらと願い、やり直しを望む。

オーブリーとヒロは突然のマリの自殺に戸惑い、かつての仲間に怒りを向けた/守れなかった自分を責めた。彼らが4年後も苦しんでいるのは、マリの死の謎、どうして彼女は自殺したのかという謎に答えを見つけることができなかったからだ。*2

だが、視点を変えれば、当事者であるサニーにも、あの事件のことはよく分かっていないのだ。あのとき、廊下で喧嘩をしなければ?バイオリンを怒って投げ捨てなければ?マリが納得いく演奏ができるよう練習していれば?偽装をせず、すぐに病院に連れて行けば?

あり得たかもしれない可能性は人をとらえ、道を迷わせる。*3

だが、生きている者はいつかは前を向き、未来を考えなければならない。そうするために必要なのは、「死の事実を認める」こと、「結論を出す」こと、そして「記憶の中の存在へと変える」ことだ。

夢の中のサニーにとっては、マリは(4年前の仲間達と同様)今も「生きている」存在だ。まずはそれに別れを告げなければならない(湖のマリのシーン)。そして、過去を思い出すことで、自分の行為と責任を自覚しなければならない(真実のアルバム巡り)。

 

そして何より大事なのは、あの時果たせなかった約束……最後の演奏会を一緒にやり遂げることだ。結局、あれはサニーの想像の中の出来事に過ぎなかった……失われた機会は2度と手に入らない。しかし、嘘でもいいからマリとの約束を果たす、そうしてマリを「想い出の中の存在」に変えることは、寝ても起きても彼女への後悔と共に生きてきたサニーにとって、一番必要なことだったのだ。

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"As long as you remember me, I'll be here." (あなたが覚えている限り、わたしはここにいる。)

この文章、推測だがホワイトスペースの文章"You've been living here for as long as you can remember."と対応している。*4サニーは永遠に変わらないホワイトスペースに閉じこもるのをやめ、マリを思い出の中に閉じ込めた。彼女が言う「あなたが覚えている限り」という言葉は、逆説的にサニーがいつかマリを忘れてしまう……少なくとも、今までのように四六時中存在を感じるようになるのをやめることを示唆している。*5

言いたいのはこういうことだ。マリの死は事故のタイミングかもしれないし、偽装のタイミングかもしれない。しかし、恐らくサニーにとってはそれはもう重要ではないのだろう。彼はあり得た無限の可能性を追うのをやめ、マリと決別することにした。その第一段階が、オーブリーたちを同じくマリの死の呪縛から解放することだった。

サニーは全然グッドじゃないが、それでもあれはグッドエンディングだ

ようするにサニーがやったことは、自分の成した(成したかもしれない)犯罪と向き合うのをやめ、それを「本当の意味で」忘却する……現在進行形で続く、死因の偽装という嘘を暴露することで、それを過去のものにすることだ。

私は初回プレイのとき、彼のことをずるいと思った。グッドエンディングの彼は、自分の過去の過ちを向き合っているかのようで、実は一種の責任転嫁をしているのだ。彼の告白は、必然的にオーブリーたちを「殺人者と友達として付き合っていた人」という立場に変え、どのような形であれ決断を迫ることになるからだ。

今はもっと端的にいえる。彼は自己中心的だ。告白という「ひどく暴力的な行為*6」をもって、オーブリー、ヒロ、ケルが今までのマリの死と向き合うためにしてきた努力を無に帰させようとする人物だ。

 

2月に考察した記事でも述べたが、最終決戦で向き合うことになる〈オモリ〉はサニーの邪悪な心、破壊衝動を表す人物だ。

サニーはなんども〈オモリ〉を倒す。しかし、「オモリは屈しない」。オモリはサニーであり、サニーはオモリであるのだから、自分自身を打ち負かすことはできないのだ*7

バイオリンを演奏し終わり、オモリの胸に倒れ込んだサニーは、オモリを受け入れる。倒すのではない。彼は自分が悪人であること、悪人になることを受け入れたのだ。
そうすることでしか、彼が「自分の人生を生きる」ことはできないのだから。

先ほど引用させていただいたIGNの記事で、ひとつだけ同意しかねる部分がある。

この作品では本人が自分のなかで納得して告白しただけに過ぎず、まだきちんと外の世界には出ていないのだ。

サニーにとってのグッドエンドは、本当に「グッド」なことなのか? 『OMORI』というゲームはその大半でサニーの見ている夢を描いているように、夢見がちな人間が朦朧としたまま地獄の門を開いてしまった作品のようにも見えるのだ。

これは(私が文章の意味を取り間違えているのかもしれないが)明確にOMORIのメッセージを受け取り損ねた解釈だと思う。彼は「朦朧としたまま」扉を開いたのではなかった。どのような扱いを受けようと、やらなければならないことをやろうと、覚悟を決めて外へ踏み出したのだ。

サニーはナイフを投げ捨て、心の中にナイフを握った。ずっと聞き手、傍観者の立場だったが、今や人に伝えようとする意志(バイオリン)を手にした*8。彼はバジルの言う「いい人(Good Person)」であることをやめたのだ。*9
そして、人生とはそういうもの……先がどれだけ暗くても、時には人を傷つけてでも、生きなければならないものだ。

地獄の門を通り、星を仰ぐ

どのような解釈にせよ、エンディングを迎えた時点でサニーの物語は終わる。そして彼が告白した後どうなったのかを考えるのはニ次創作の役割であり、考察をしても結論はでないだろう。

むしろ、問われているのはプレイヤーである私たちの方だ。私たちがサニーの告白を受けて、彼を許すべきか、許さないのかを考えるよう求められている。

とはいえ、「サニーの告白の先には地獄が待っている(かもしれない)」という指摘にはもっともなところがある。作者が念入りに演出していたように、彼の告白を励まし、「大丈夫」といってくれる存在は、全てサニーの頭の中にしかいない。

サニーはこれからどうするのか?親との関わりはどうなるのか?社会に受け入れられるのか?

分からない。そもそも分かるはずもない。それでも、サニーは大切な思い出と、励ましと共に外の世界へとしっかりと踏み出した。

神曲」地獄篇では、地獄の門をくぐりあらゆる恐怖を目撃した後「私たちは外へ出、ふたたび空の星を仰いだ」*10。ここでの星は希望の象徴だと解釈されている。

どれだけ絶望的な状況であっても、自分のやりたいことをやる上で、その光は足を踏み出す理由となる。

 

"Everything is going to be okay"/きっとうまくいく、という言葉はかつて呪いとして使われた。それは犯罪への正当化、間違っている現状への肯定に使われた。

しかし、サニーが現実世界を旅する上で、これほど温かい言葉はない。根拠のない希望は、困難なことを成し遂げなければいけないときの唯一の支えになるからだ。

その楽観視こそが、「グッドエンディング」の名前の由来だろう。

追記:

fangamerのサイトに載っている写真、4:3の画面を16:9にするために左右に帯が追加されるみたいですね(しかも状況によって変化しているっぽい……?)

スーパーゲームボーイのピクチャーフレームっぽさがあってすごく好きです

元々3DS向けに開発してたからか、解像度が低い(2倍オプション使うと特に顕著)のは気になるので、Switch/PS4版が出るついでにFullHDに対応しないかな……と期待している。絶対作業量が爆増するので可能性は低いだろうけど。

https://twitter.com/Fangamer/status/1498718152812732419?s=20&t=gtTsZna1kfexdRNywCGAnw

*1:内部ファイルを解析することでしか読めない、「真実のアルバム」に添えられた文章を読むと、サニーがほぼ心神喪失状態で偽装を行ったことが分かる。もちろん、ゲーム中に使われていない以上これを公式設定としてそのまま受け取るわけにはいかないが。

*2:唯一問題から「逃げた」ケルだけが苦しみから逃れられている。……そんなわけないのは彼がサニーの家をノックし続けたことから分かるし、ニュートラルエンドでバジルの死に直面した表情ではもう彼が「逃げきれなくなった」ことが表されている

*3:皆さんにも心当たりがある人物が何人かいるだろう。「崖から落ちた息子は、まだ生きているかもしれない……。」

*4:日本語版ではI'll be hereを「ずっとそばにいてあげるよ」と訳したため、私が主張したい「マリを過去の記憶(の中の家)に置いていく」というニュアンスが消えている。こんな離れたテキストに相関を見出す私が特殊なのだろうが。

*5:ニュートラルエンドは逆に、常になにかの視線を感じながら生き続けることになる。

*6:同じignのコラムより

*7:某映画のように。

*8:サニーのバイオリンが戦闘中極めてナイフに類似した音とモーションを持っていることを思い出してほしい

*9:逆に、オモリがサニーを吸収するバッドエンディングは、サニーの良心が現れた……〈オモリ〉の破壊的な手段を通じて……結末だと解釈することも可能だ。見方を変えれば、あれはマリの死を自身の死をもって償う行為ともとらえられるからだ。〈オモリ〉が勝利した後、サニーの罪/自責の念を象徴する「なにか」が一度も現れないのもそういう理由からだと思っている。

*10:ダンテ, 平川祐弘訳「神曲」地獄篇, 河出文庫, 2008。