OMORI考察まとめ

みんなOMORIやろうぜ 英語版の内容に基づいています

DRAWFEST4×OMOCAT 講義動画を見よう&「方向」のシンボリズム

 

※この記事にはゲーム「OMORI」についての重大なネタバレが含まれます

2023年6月10日・17日に渡って開催されたpixiv主催のイベントDRAWFEST4。今年はなんとゲーム「OMORI」の製作者である、OMOCATが講師の一人として登場しました。

プログラムは終了し、参加者のみの限定公開だった講義も今は見られなくなっています……が、なんとOMOCATがOMORIの制作過程を語った動画は、特別に今後も見られることになりました!やったね!

youtu.be

視聴するとわかりますが、多分今までに出たどのインタビューよりも詳しい作品の成立過程が語られています。ホワイトスペースのアイディアの起源、各登場人物のモデルとなった人、ヘッドスペース、ハルバル町、ブラックスペースの色や表現形態の違いなど初めて明らかになった情報がたくさん。

「VAST FOREST(ヒロビロ森)が大きな森=大森=OMORIのダジャレじゃないか」というリリース当時からあった噂、本当だったんだ……。

2年前からOMORIを追いかけている人間としては、一番気になったのが13分~から語っている、「OMORIの物語構造にはシンボリズムを大量に取り入れている」という言葉。

作品内に登場するアイテムの象徴については考察をする時常に重視してきた部分だったので、実際にOMOCATから言われたときは少しびっくりした。
シンボル=象徴を見出すのは古くから夢を分析する上で多用される手段であり、同様にOMORIの物語を読み解くガイドとなる存在だと思う。

象徴の具体例はいたるところにある。電球と光がアイデアを指す、従って黒い電球が「発想の抑止」を表すことは作中でも述べられている。作中サニーの選択として何度も現れる「扉を開ける」行為。バジルが植えた花にはそれぞれ花言葉があり、各キャラクターの性格と、作中での役割を暗示している。

あるいは、ラストバトルでサニーが武器とする「バイオリン」(伝える道具)とオモリが武器とする「ナイフ」(攻撃する道具)にも、プレイヤーの選択と結末が端的に示されている。

今回、OMOCATの言葉を受けてもう一度ゲーム内のシーンを見直してみたが、新たに気づいたことが一つあった。

サニー/オモリが進む「方向」のシンボリズム

演劇などで使われる舞台、ステージには「上手/下手」という概念がある。客席側から見て右が上手、左側が下手だ。海外においては演者から見て右側(下手)がstage right、左側がstage leftだ。
この上手と下手については、実は象徴的な意味が持たされる事が多い。いくつかの記事を調べてみると「上手には強者、流れとして自然なもの」、「下手には弱者、流れに逆らうもの」が配置されるという話がある*1

同様に海外のウェブサイトを調べると以下のような解説が見つかる。

Left or Right? Why a Character's Lateral Movement On-Screen Matters in Film

こちらでは「左から右の動きが自然で、ポジティブなもの」「右から左の動きは不安にさせて、ネガティブなもの」と説明されている。流れとして自然な方向は逆とされているが、やはり左から右の動きは、キャラクターに明るい未来を連想させるものとして扱われているようだ。

そこでOMORIのGood/Bad Endの分岐を見てみると…

Good Ending (Omori_is_gone)

https://twitter.com/drawfest_pixiv/status/1669646246363930624?s=20

Bad Ending (Player_is_gone)

主人公(サニー)が向く方向は右向き、オモリが向く方向は左向きだ。

ホワイトスペースがサニーの演奏する舞台でもある(ホワイトスペースを出る前の一礼から)ことを考慮すると、ここでステージ上での左右の違い……すなわち「逆風に立ち向かい、明るい未来に進む」サニーと、「流れに身を任せ破滅へ落ちていく」オモリの違いが反映されていると読み解くことができると思われる。そして、二人ではオモリのほうが強い(Good Endingのムービーでもサニーはオモリに抱き抱えられている)。

 

この左右の違い、作中ではかなり意識して描かれているのではと思われる。

足を抱えるサニーは右側、慰めるバジルは左側にいる。
事件への二人のスタンスが反映されている?
影=オモリはサニーの右側にできる。

例えば、ハルバル町の冒険が始まるとき、サニーは必ず右側に向かって走り出す。サニーの家は通りの一番左に配置されており、プレイヤーが操作しようとすると自然とその形になる。

ハルバル町の冒険を始める上で、ポジティブな動きを連想させようとしていると考えられる。
一方、サニーの家と同じく左奥に置かれているのが教会だ。OMOCATは教会のシーンをマリの死が判明する場面として劇的に描こうとしていた。*2OMOCATの言う通り、教会にたどり着くまではHOOLIGANSとのポップで少しおかしな戦闘が続く。だが教会の通りを通って左に向かうとき、映画などで左右の動きに見慣れているプレイヤーには不吉な予感が漂っていてもおかしくない。

以前「ハルバル町の家と病院の病室のマップは対応している」と述べたことがある。従って(たとえその過程が苦しいものであったとしても)サニーのポジティブな動きは、病院内を右に向かうことで達成される。バッドエンドではこの動きはカットされている……オモリはいつものようにオトナリルームの階段を昇り、気がつくとバルコニーに出ている。

全体的に、左右の象徴はヘッドスペースには適用されないと考えてもいいかもしれない。ヒロビロ森、イセカイなどのマップは循環しているため左右の違いがなく、迷子になってぐるぐる周っているような印象を与える。水中高速道路のマップのみ、賑やかなラストリゾートへ向かう右と、暗くて意味深なオクブカ井戸へ向かう左で区別されている。

エンディングはどうだろうか。(二度と)動かなくなるナイフエンド、明確に下へ「落ちていく」バッドエンド以外を考えてみると、逃避エンドについてはサニーの母親が運転する車は左へ動いていく。一方、Good Morningが流れる間、景色は左へと流れていく……つまり、車は右向きへと進んでいる。

左右の進む方向は、主人公の決断、未来を連想されるものとして広く使われていると考えられる。

 

OMOCATの講義動画はこのシンボリズムだけでなく、登場人物の役割、使われている色など様々な点でOMORIの作品世界を深く分析する手助けとなると思われる。ぜひ視聴をおすすめします。

 

余談:

ついにVの体を手に入れたOMOCAT

最新の情報は公式アカウントをチェック!