OMORI考察まとめ

みんなOMORIやろうぜ 英語版の内容に基づいています

OMORIの音楽 その2 ワルツ/バイオリン

※このブログのすべての記事にはゲーム「OMORI」についての重大なネタバレが含まれます

※英語版、日本語版のスクリーンショットが混在しています

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「ワルツはいつも私のお気に入りだった」とマリは言う。2人が最後のリサイタルのために選んだ「デュエット」、OMORIのメインテーマもワルツだ。

 

マリの言葉を聞いてからゲーム全体を振り返ると、OMORIにはワルツが溢れていることに気づく。"WHITE SPACE"(ホワイトスペース)、"Lost At A Sleepover"(オトナリルーム)、"Welcome Again."(ブラックスペース)など重要な場所ではいつもワルツが使われている。

それでは、ここでワルツが登場するのはなぜか?

 

そもそも、ワルツとは何なのか?

ワルツという言葉はあまりにも幅広い範囲に適用されている。3拍子の曲について私たちはよくワルツという言葉を使うが、じゃあワルツと3拍子の違いは何か、と聞かれてもすぐには答えられない。狭義のワルツ、19世紀に流行した舞曲については、あまり多くは知られていないだろう。

OMORIにおけるワルツの描写はかなり多義的だ。そしてワルツについての前提知識があれば更に深読みできる部分もある。

 

今回は、アマチュアヴァイオリン弾きであり*1クラシック音楽オタクである私が、OMORIの音楽描写について深読みをする回になる。

恐らく「作者の意図」という点では想定されていない考察もあるだろう。しかし、考察は元の作品の描写だけに縛られるものではない。作品世界を更に奥深くまで広げ、想像力を動かす手助けになるのが、面白い考察の特徴だと思う。*2

実現できているかは分からないが、私の文章が少しでも世界を広げる助けになることを願っている。

ワルツの来歴

先ほども少し述べたが、「ワルツ」という言葉は非常に多くの曲のことを指す。ウィンナ・ワルツの代表「美しき青きドナウ」(踊るためのワルツ)、映画「白雪姫」の「いつか王子様が」(歌うためのワルツ)、ジャズのスタンダードである「ワルツ・フォー・デビ―」(演奏するためのワルツ)など。

 

もともとワルツはオーストリア南部の民族舞踊を起源にもつと言われている*3。似た起源をもつレントラーやドイツ舞曲がゆったりしたリズムで飛び跳ねるような田舎の踊りだったのに対し、都会で踊られるようになったワルツはより速く、軽快なステップへと変わっていった。ワルツの名前を有名にしたのが1814年のウィーン会議で、ここで頻繁に催された舞踏会からウィンナ・ワルツが誕生することになる。*4

しかし、当初のワルツは王侯貴族が踊るようなものではなかった。出自からして庶民の踊りであり、また男女ペアが体を密着させながら踊るのは公序良俗を乱すと判断され、演奏禁止の指令が出されることもあった。しかしワルツの人気は衰えることなく、規制は徐々にゆるみ、貴族たちはお忍びで街の舞踏会に出かけるようになる。19世紀の半ばには、ワルツは完全に公認となり、華やかな舞踏会の中心となった。

より曲の完成度を高めたコンサートワルツ……「聴くための」ワルツが登場したのもこのころだった。ウィンナ・ワルツの祖、ヨーゼフ・ランナー(1801-1843)の曲が初演されたときは、人々はまずじっと音楽を聴き、2度目の演奏で踊り始めたという。*5ランナーとそのライバル、ヨハン・シュトラウス1世によるワルツは人気が高く、2人はワルツ合戦と呼ばれるほど熾烈な人気争いを繰り広げた。

19世紀後半には「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世*6とその家族(ヨーゼフ・シュトラウス、エデュアルト・シュトラウス)が多数のワルツを作曲し、現在まで演奏され続ける有名曲が多数生まれた。ワルツの絶頂期はしかし、シュトラウス2世の死、第1次世界大戦の訪れ、ハプスブルク帝国の崩壊とともに終わってしまう。20世紀以降に作曲されたワルツは、いずれも過去への憧憬が題材となっている……古き良き時代へのあこがれ、絢爛華麗な舞踏会の追憶*7

非常に駆け足で説明してきたが、OMORIのワルツを考察する上で参考になる箇所はいくつか紹介できたと思う。踊るワルツと聴くワルツの存在、男女のペアが密着しながら踊ること(創作中で「ワルツを踊るパートナーに誘う」行為は、恋愛感情を表現するものとして使われる)、「過去を振り返る」というキーワード。

 

冒頭のマリのセリフに戻ろう。

マリはワルツ(複数形なので”DUET”に限らない)がお気に入りだったといっている。彼女はシュトラウス・ファミリーのファンだったのだろうか?

勿論その可能性もあるが、ピアノの練習に非常に打ち込んでいた彼女のことを考えると、むしろワルツを演奏するのが好きだったと考えるのが妥当だ。ピアノのために書かれたワルツ、「聴くためのワルツ」の方だ。

よりはっきり言えば、ピアニストが「ワルツが好きなんです」と言ったとき、真っ先に想定されるのはショパンのワルツだ。*8

open.spotify.comショパンは最初のワルツ「華麗なる大円舞曲」こそ舞踏音楽として作曲したが、この曲はほとんどヒットしなかった。出版されたウィーンではランナーとシュトラウス1世の話題でもちきりで、無名だったショパンはすぐに埋もれてしまったのだ。

彼は方針転換し、より抒情的な、芸術性の高いワルツを作曲するようになる。

open.spotify.comマリが演奏していたのは、おそらくこういったワルツだったのだろう。

 

一方、ヴァイオリニストが「ワルツと言えば?」と聞かれたときの答えは様々だろうが……「ヴァイオリンとピアノのための」ワルツと言われると、真っ先に思い浮かぶのはクライスラーの「愛の喜び」だろう。

open.spotify.comクライスラーは20世紀初頭に活躍したヴァイオリニストだが、この曲は19世紀半ばのヨーゼフ・ランナーの形式を模倣している。*9これも「聴くためのワルツ」だが、その根底にあるのは古き良きウィンナ・ワルツ、踊るためのワルツだ。

少なくとも、サニーにとってはワルツは演奏するためのものというより、踊られる曲であるようだ。スイートハート城の舞踏会、ゴーストパーティでのダンスは、ワルツのそれを模倣している。

左:スイートハート城での舞踏会。右:ゴーストパーティ。

(ここでのオーブリーとのダンスは恐らく、彼の恋心を反映している)

 

ちなみに社交ダンスで「ワルツ」といったときは「スロー・ワルツ」、ゆったりとした優美なワルツを指すらしいが、スイートハート城のテーマ"Wandering Rose"、ゴーストパーティのテーマ"Not-So-Empty-House"はどちらもテンポが速い、ウィンナ・ワルツの方に属する。

サニーの脳内で催される舞踏会。そこにかつてのウィンナ・ワルツの幻影、そして過去を懐かしく想う気持ちを重ねてみることができる。

 

ワルツを特徴づけるのはいわゆる「ズン・チャッ・チャッ」のリズムだ。1拍目に重いアクセント(深く踏み込むステップ)がきて、2拍目と3拍目は軽く流れるように演奏する*10。このリズム感は舞踏会などに縁がなくエイトビートに慣れ切った現代の私たちではなかなか掴みづらい。そのため、ワルツは「聴くだけだと簡単そうなのに、実際演奏すると難しい」曲といわれている。
マリがサニーの演奏に満足しなかった理由もそこに関係しているかもしれない。「デュエット」を演奏する難しさについては後にまた取り上げる。

ワルツの「定型的な」リズムの観点から見ると、最も舞踏的な「踊るための」ワルツの典型例といえるのが、先ほどあげた"Wandering Rose"と"Not-So-Empty-House"、そして"Playing Forever"。演奏会用の曲である"Duet"や歌ものの"My Time"も伴奏はしっかりワルツのリズムになっている。一方、"WHITE SPACE"や"Welcome Again."はリズムが平坦化されており、3拍子であること以外ワルツのアイデンティティは見いだせない。……そもそも孤独な空間であるホワイトスペースやブラックスペースでは、ワルツが舞曲というより「マリとの思い出」の残響になるのは必然なのだろうが。

OMORIに登場する様々なワルツは、そのまま実際のワルツの多様性を反映している。

 

バイオリン

OMORIのストーリーは多くの人の心に響くものだろうと思うが、音楽を演奏する人間にとってはとりわけ重いテーマを含んでいる。

Your fingers were shaking in pain... practicing over and over... but you still make mistakes after mistakes.

あなたの指は痛みで震えている……何度も何度も練習して……でもあなたは未だにミスばかりしている。*11

ただ一緒に曲を演奏するだけで楽しかったのに、人前で発表するということになると、練習量、方向性、そして才能の差が、アンサンブルの仲を引き裂く要因となっていく……私の知っている中でもそういった経験をした人は多い。

音楽にあまり関わりがない人であっても、些細なことから喧嘩をし解散してしまうバンドのことは聞いたことがあるだろう。一旦仲が険悪になると、「自分の意志に関わらず付き合い続けなければいけない」こと自体がストレスの原因となり、事態を悪化させていくのだ。

OMORIがこのように音楽と向き合っているところ、特に(創作でよくある)「音楽の人と人を結ぶ力」ではなく、「音楽を演奏する人達の軋轢」に物語の焦点を合わせているのは、かなり特異だ。
最後のデュエットをサニーは素晴らしい音色で演奏する。しかし、マリを怒らせたサニーに、現実世界で同じ演奏はできたのだろうか?頭の中では完璧に弾けるのに、実際の自分の技量はそれに追いつかず絶望する、というのはよくある話だ(特に「失われた図書館」の描写からして、サニーは練習嫌いだったようなので)。

もう一つ気になるのは、親がサニーのバイオリンをどう思っていたのかだ。

ここでケルがいう、「昔のサニーが弾こうとして小さすぎた」バイオリンとは、分数器のことだろう。4歳や3歳からバイオリンを始めたという人がいるが、通常サイズのバイオリンは幼児には大きすぎる。そこで、1/16、1/8、1/4、1/2のサイズのバイオリンを与え、子供の成長に合わせて買い替える、という方法がとられることになる。

分数器のバイオリンでは弦も弓もフルサイズのバイオリンとは異なるため、毎度ほぼすべてを取り替えることになる。当然出費も大きくなりやすい。サニーの家庭は子どもに音楽を習わせるのに熱心だったのだろう(娘のためにグランドピアノを用意しているぐらいなので今更なのだが)。そしてフルサイズのバイオリンを買うより前にやめた、ということはサニー自身はあまり乗り気でなかったか、弾くのを嫌がっていたのだろうか。

物語の発端となる、新しいバイオリンについても同じことがいえる。マリが満足しそうな「きちんとしたバイオリン」、音楽的に不満を持つことなく演奏できるバイオリンを買おうとしたら、少なくとも数万円(数百ドル)では足りない。5人が一生懸命バイトしてくれたのだとしても、恐らく購入資金には足りないだろう。
あえてこれを矛盾と考えず現実的に考察するなら、バジルかサニーの親が購入資金の援助をしてくれた、と考えるほかない。バジルが比較的裕福な立場にあることは作中から読み取れるし、サニーの親が子供にバイオリンを習わせようと考えていたことは先ほど述べた。

黒い穴の中で「オモリ」のビデオテープを再生したときの描写から、サニーがかつてピアノを弾いていた(事件の前か後かは分からないが)ことも読み取れる。最もスペースボーイ船長の家での描写から、ピアノの練習にもトラウマがあるようだが。*12

総じて、サニーにとって楽器は良い存在ではなかったようだ。彼にとってバイオリンは友人一同からの愛情と信頼の証であると同時に、自身の無力さを思い知らせてくる存在でもある。それでも彼は、バイオリンを携えて自分自身(オモリ)に挑む。

 

楽器演奏の描写に注目してみよう。サニーが舞台に一人で上がり、バイオリンを演奏するシーンは実は非常に興味深い。

この音源を聴いていると、メロディーの途中で音が一瞬途切れることに気づく。これはバイオリンの構造に由来するもので。弓を返す(動かす方向を変える)とき、圧力の関係で一瞬動きを止めて(このときわずかに雑音が入る)逆方向に動かさなければならない。そして、普通は雑音が気にならないようフレーズに合わせて弓を返すのだが、この演奏は明らかに不自然だ……通常必要になる回数以上に弓を返している。

どうしてこうなっているのか?

なぜなら、グラフィック上でサニーが弓を返すタイミングで、音も途切れるように同期しているからだ。(プレイ動画などで確認してほしい)。

楽器を弾いていることを表現するためには、小刻みに弓を動かすモーションが入る方が良い。しかし、このフレーズを自然に演奏しようとすると、画面上の動きは減ってしまう。別に視覚上と聴覚上で弓を返すタイミングがバラバラになっていても問題はない…のだが、それよりもサニーが今演奏しているかのように表示するのを優先したため、音源がそれに合わせて変更されたと考えられる。
恐らく気づく人は少ないだろうが、登場人物のリアリティは確実に増す。*13

デュエット

曲の構造について少しコメント。

オモリとの対決でコンティニューした後の選択肢。後ろに"DUET"の楽譜が見える。

最初はピアノのアルペジオによる序奏。ピアノによる主旋律に対し、バイオリンがオブリガード(裏メロ)で加わってくる。ここは恐らくsul G、つまりG線上で弾くべきところ*14。そのままバイオリンの自由な変奏へと続く。

この曲は別にバイオリンの技術的に難しいところはない(クライスラーの「愛の悲しみ」が弾けるなら十分挑戦可能だろう)。重音やハーモニクスのようなテクニックも登場しない。とはいえ、先ほど述べたようにワルツのリズムをとるのは難しいし、この曲は長い音符が多いため、弓の圧力を保つ・スムーズに音を返す・ビブラートを綺麗にかけるなどの基礎テクニックが如実に表れてくる。

この曲のメロディも、バイオリンではやや押さえにくい増4度(ファとシの音の関係)が頻出する。難しいテクニックは使わないが、基礎の練習がしっかりしていないとすぐにバレてしまう、というのがこの曲の評価である。サニーとマリが「何度も何度も練習した」というのもあり得る話だ。

 

ゲームと調性

デュエットの調性、C major (ハ長調)はゲーム全体でも象徴的に使われている。

もともと、ハ長調は調号が一つもつかないことから、「単純」「清純」「堂々としている」といったイメージと結びつきやすい(「調性格」という。)
ゲームを起動した直後聴くハ長調に対し、チップチューンで演奏される"WHITE SPACE"はD♭ major、変ニ長調。これはフラットが5つで、ハ長調からは非常に遠い調性だ(遠隔調という)。その次に聴くことになる"Lost At A Sleepover"も変ニ長調

マリのテーマ"By Your Side"はF#/G♭ major(シャープまたはフラットが6つ)で、ハ長調からは最も遠い調(下の五度圏を参照)。

フラットの多い調ばかり選ばれているのは、オモリが「真実」から遠く離れた場所にいることと対応しているのかもしれない。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/40/Circle_of_fifths_deluxe_pale_beads.png

(五度圏。転調するときに違和感が少ない調(近親調)から遠隔調までを並べた図。"Title"のC majorは"By Your Side."のF# majorと丁度反対側。出典:Wikimedia Commons)

一方、サニーがスキルを使うときにはピアノの音がなるが、「落ち着く」を使ったときに鳴る音はソ/G、「集中」の場合はミ/E。「踏ん張る」を使ったときはハ長調の分散和音が鳴る。ソとミの音はメインテーマの最初の2音と一致する。これらのスキルがマリの声に導かれて習得することからも、「現実のマリ」を表すのはハ長調なのだと推論できる。

ゲームを進めると、"WHITE SPACE"のテーマはピアノアレンジに変わり、調性も変更される(B♭ major/変ロ長調でフラットは2つ)。

マリの墓のそばでピクニックをしたときの"By Your Side."はスロー再生に変わってD major/ニ長調(シャープ2つ)。"OMORI"は恐らくC minor/ハ短調(C majorの同主調)*15。そして"DUET"のC majorにつながる。

病院で聴く"Clean Slate" "The Truth"も同じくハ長調で、ゲームが終わるのと同時に"Good Morning"のF major/ヘ長調に解決*16する。ストーリー上の終結に、音楽面からもサポートしているのだと考えられる。

一方、バッドエンディングの場合、"WHITE SPACE"は再び変ニ長調に戻っているが、"Lost At A Sleepover"は半音低いハ長調だ。マリの死に向き合って、真実を受け入れたからなのだろうか?いずれにせよ、オトナリルームから出ようとしたとき、再び変ニ長調のメロディが鳴り響き……気づいたときには屋上に出ている。

"My Time"の他に例を見ない転調については(とても長くなるので)説明を省くが、予想を裏切るコード進行の不安定さが夢を表現しているのはもちろん、調設計の点でも「行き止まり」らしさを感じさせる。「おやすみ」の歌詞で繰り返されるG major→B major→E♭ majorの進行は、オモリの旅が終わらないサイクルの繰り返しであるのとよく似ている。

ひきこもりルートで聴くことになる"Playing Forever"の場合、調性自体は"DUET"と同じハ長調だ。しかし、半音階で動くメロディを使うことで何か不自然な、人工的な印象を聴く人に与えることになる。その危なっかしさはオモリにすべてを預けたサニーと重なっている。

以上、音楽的な視点から「OMORI」を眺めてきた。どこまで意図して作られたものかは分からない……が、少なくとも、ここまで突っ込んんだ考察をしても違和感がないぐらい、「OMORI」にとって音楽と、バイオリンは不可分の存在なのだと思っている。

余談

よく色んな人が考案しているイメージソングを、自分が(ワルツ縛りで)するとこうなるだろうか。

サニー 美しき青きドナウ(ヨハン・シュトラウス2世)
オーブリー バレエ「シンデレラ」よりグランド・ワルツ(セルゲイ・プロコフィエフ)
ケル 皇帝円舞曲(ヨハン・シュトラウス2世)
ヒロ オペラ「薔薇の騎士」よりワルツ(リヒャルト・シュトラウス)
マリ ワルツ第9番別れのワルツ(フレデリック・ショパン)
バジル バレエ「くるみ割り人形」より花のワルツ(ピョートル・チャイコフスキー)
オモリ ラ・ヴァルス(モーリス・ラヴェル)

オモリの曲だけ少し解説する。「ラ・ヴァルス」(La Valse)は作曲者ラヴェルヨハン・シュトラウス2世、特に「美しき青きドナウ」をリスペクトして作ったと明言している曲だ。鏡の関係であるサニー/オモリにはこの2曲を割り当てたいと思っていた*17

割とスタンダードな曲ばかり集めたので、そんなにワルツのことを知らないという人にもおすすめ(?)

*1:今まで明言していなかったが、私がここまでOMORIにのめり込み、ブログに大量の文章を投稿することになった理由は、バイオリンに関する描写が心に刺さったからに他ならない。

*2:実はこれはオスカー・ワイルドが文芸批評において主張した立場を参考にしている。彼は批評が作品から独立した芸術的価値をもつこと、批評が作品そのものではなく、作品に触れた批評家を対象としていることを指摘したのであった。『ドリアン・グレイの肖像』の序文に書かれた文章も同様のことを指している──「芸術が映しだすものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。」(福田恆存訳, 2016, 新潮社)──

彼の批評についての考えは「芸術家としての批評家」(オスカー・ワイルド全集第4巻)、概説はピエール・パイヤール,大浦康介訳「読んでいない本について堂々と語る方法」III-4で読むことができる。

*3:加藤雅彦「ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産」日本放送出版協会, 2003. なお起源については諸説ある。

*4:参考:

ワルツ:語源は中世ドイツ語の「回る」!「会議は踊る、されど進まず」で一躍有名に|音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」

*5:加藤,2003.

*6:ヨハン・シュトラウス1世の息子。

*7:参考:

https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/ravel-la-valse

*8:「ピアニストは2種類いる。ショパンを弾くピアニストと弾かないピアニストだ」という発言があるぐらい、ショパンピアノ曲の中で占める存在感は大きい。

*9:厳密に言えば、クライスラーは当初この曲をランナー作曲、クライスラー編曲と偽って発表した(後年自作であることを認めた)。

*10:「ウィーン風」とされるステップでは2拍目が少し早くなるともいわれるが、ここでは詳しく説明をしない。

*11:黒塗りにされた、真実のPHOTO ALBUMに添えられた文章から。ゲーム中では読むことはできないが、ゲームファイルを解析することで知ることができる

*12:ベッド左側に置かれたキーボードでオモリは"WHITE SPACE"を演奏するが、ミスをした後投げやりになって終わらせてしまう。

*13:もう一つ気になったのは、彼が肩当てをつけていないことだ。バイオリニストの多くは楽器を固定するために、肩とバイオリンの間に肩当てをつけているのだが、サニーはつけていない。これ自体は単に作画の都合上省略したのだろうなと思われる。

とはいえ、私自身がずっと肩当てなしで演奏してきたので、彼が同じスタイルで演奏していることには非常に親近感をもった。第一肩当てが一般的になったのは20世紀後半で、昔の大ヴァイオリニスト、ハイフェッツオイストラフも今のような肩当ては使っていなかったのだし、演奏するときに体を自由に動かせるし利点が(以下略

もしOMORIなどをきっかけにバイオリンを弾いてみたいと思った方がいらっしゃったら、一度肩当なしを試すことをおすすめします。体格の問題もあるので全員に向いているとはいえませんが。

ちなみにシャツを着て楽器を構えた場合、肩当なしだと楽器の裏板が直接肩と触れることになる。ニスに悪影響があると嫌だなあと思って夏でも襟付きの服を着るか、タオルを挟むことが多かったのだが、サニー君のファッションにそういった事情があったり……はしないかな多分。でもあれ「いつでも演奏会に出られる」ことを意識した恰好だよね

*14:バイオリンに張られた4つの弦のうち、G線が最も音程が低い。高い音をあえてG線で弾くことで、より太く豊かな音を出す奏法。

*15: "OMORI"では3丁のバイオリンが同じコード進行を何度も奏で、繰り返す間に曲が変奏されていく。この曲を聴いて、私が連想したのがJ.S.バッハの「無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番のシャコンヌ」だった。

open.spotify.com"OMORI"と同じく、冒頭に示された和音を何度も繰り返し変奏する構造であること、そしてシャコンヌがヴァイオリンソロを代表する曲……ヴァイオリニストが一生付き合い、挑戦し続けなければならないとまでいわれる曲であることがその理由だ。

*16:音楽用語で、強い終結感をもたらすコード進行のこと。

*17:なおリスペクトしたとはいうものの、実際の曲はおどろおどろしい雰囲気に包まれ、ワルツのリズムは常に転びかけ、最後は崩壊して終わるという怪作。作曲されたが第一次世界大戦直後(1919年)であり、厭世的な気分に陥ったのが原因らしいが……。

第一「ザ・ワルツ」(英語に訳すとこうなる)なんて名前をつけた曲が普通のワルツのはずがない。
この曲に限らず、一般名詞がそのまま名前になっているようなキャラがいたらまずそれは疑ったほうがいい。HEROと呼ばれているキャラクターが英雄的であったり、SWEETHEARTが本当に誰かの恋人だったりすることはほぼない……あるとしても、極めて逆説的な意味になるだろう。