※このブログのすべての投稿にはゲーム「OMORI」についての重大なネタバレが含まれます
あえて釣りっぽいタイトルをつけてみました。
「作中語られなかった点、疑問点などを推測する」回。繰り返し言っているがこの手の考察は「自分でプレイしたときの体験から独自の考察をつくっていく」のが楽しいので、そんな見方もあるのか、というぐらいの気持ちで読んでほしい。
- 1.舞台設定(作品の時代と場所)
- 2. OMORIの正体
- 3.SOMETHING IN 〇〇とは
- 4."THREE GREAT CREATURES"について
- 5.SUNNYがPROLOGUEでステーキを吐いた理由
- 6.SUNNYの両親は犯行を知っていたか
- 7.白黒のMARIは本物の霊か?
- 8. このゲームを終えた直後の感想
- 9.グッドエンディングの後、AUBREY、KEL、HEROはSUNNYを許したか
- 10.どのエンディングが好き/正史だと思う?
- 日本語版くるか?
1.舞台設定(作品の時代と場所)
意外にも、これについて言及している人って少ないよね。
地域:
アメリカであることは現実世界の通貨がドル(ワシントンの肖像付き)であることからほぼ確定。作中の描写より、FARAWAY TOWNから日帰りでいけるところにビーチがあることが分かる。
個人的に推測したのは「アメリカ西海岸の大都市郊外」。私はSUNNYとMARIを日系アメリカ人と思っているのだが、ロサンゼルスやサンフランシスコにはアジア系の移民が多く、古くから日本人街などもあり、住んでる確率は高そうと思ったため。
ちなみにOMOCAT氏はロサンゼルス在住とのこと。*1
時代:
OMORIの時代設定は1990年代~2000年代初頭といわれており、その根拠となるのがLAST RESORTで飾られるHEROの写真の日付である。
(これを「HEROの生年が199X年」と言っている人が一定数いるが、正しくは「LAST RESORTの経営者である期間」を表している。TWO DAYS LEFTならMR. JAWSUMのところに"198X-"と書かれている)
HEADSPACEの世界が(MARIの死んだ)199X年から変わっていないとすると、「4年前」は1990-1999年。ゲームの舞台になるのが1994年から2003年と推定できる。
ここで、BASILのPHOTO ALBUMの日付に着目したい。一枚の写真にこんなことが書かれている。
weekendは(日本語と同じく)土日、広めにとっても金曜午後から日曜日までを指す言葉である。1990年代で3/9 - 3/10が週末だったのは1990年、1991年、1996年の3つに絞られる。
そしてここで思い出したいのが、HOBBEEZに置かれた商品だ。
何気なく置かれているDVDだが、DVDが世界で発売されたのは1996年(アメリカでは1997年)である。ここから1990年、1991年は当てはまらないと考えられ、「4年前」は1996年と確定。ゲームの舞台は2000年のアメリカである。
他にも、OMORIのPCやDOWNLOAD WINDOWがWindows 95/98のUIを意識している点、ダイヤルアップやブームボックスがJUNKYARDに捨てられている点(1991年ではダイヤルアップはまだ登場していない)などからも、HEADSPACEが1990年代後半の世界であることが示唆される。
逆に2000年当初だとすると違和感がある場所は、"brand new console"とされているゲーム機だろうか。本体色やケーブルのつなぎ方から恐らくSNES(スーパーファミコン)と思われるのだが、この時の最新ハードはNintendo 64/Playstation初代*2/ドリームキャストなどであり、ずれているのが気になる。
花壇にヒマワリが咲いていることや、大学が休みになりHEROが帰ってきていることから季節は夏(個人的には7月か8月と思われる)。
2024年3月2日追記:
↑では「4年前が1996年」説を唱えてましたが、公式から違う情報が出てきました。
OMORI Collector's Edition for Nintendo Switch™ and PlayStation 4www.fangamer.com
新しく発表されたOMORI Collector's Editionのサンプル画像には、FARAWAY TOWN CHURCHで行われた演奏会のチケットが写っています。"A ticket to Sunny and Mari's Recital"の日付は"October XX, 20XX"。日付や"Youth Ensemble"などの記述から本来開かれるはずだったコンサートのチケットでは?と思われる。ということは、4年前が20XX年なのか?
考えられる可能性は
1.HEADSPACEの年は4年前、現在のどちらとも一致していない。
2.商品画像と実際の付録で日付が異なる可能性
4.そもそも公式としても特定の年は想定していない
あたりでしょうか。Collector's Editionの実物見ないとなんとも言えないですが、新情報でした。
なお、これでサニーとマリの演奏会が恐らく教会で行われるはずだったことが分かった(教会にピアノが置いてあった理由も分かった)*3。
2. OMORIの正体
「結局OMORIって何者なのさ」で考察済み。
ただまあ、自分でこの考察に満足しているわけではない。やっぱり説明しきれないところがある。
現時点で思うのは、ナイフとOMORIが「拒絶する/逃げる/自分を責める生き方」なら、バイオリンは「受け入れる/踏み出す/許す意志」だよなあということ。
結局のところ、MARIとあのときできなかったデュエットを演奏するということは、自分を責めることをやめるというか、今までのMARIとの向き合い方を終わらせるというか…
それを自分の中で決着をつけるってことだよね。となるとOMORIは自身を責める自意識(あるいは超自我)か?MARIを殺さなかった完璧な自分?
でも、「お前はクズだ」と言ってくるのはこの解釈に合ってても、「AUBREY、HERO、KELがお前を許すはずがない」と引き合いに出してくるのはなんか違う。これってSUNNY自身が感じている恐れだよね。人前に立って、真相を話して、こんなにも大切な人たちを傷つける/拒絶されるのは嫌だっていう。
in honor of halloween, here is a spooky OMORI fact.
— OMORI (@OMORI_GAME) 2021年10月31日
early in production, there were plans to have extra SOMETHING battles based on the fear of public speaking and the fear of attractive people at the end of NEUTRAL route. luckily, these ideas never made it into the final game. pic.twitter.com/YSlPWz8w1B
となるとやはりOMORIは誘惑だよなあ。自分自身や現実と向き合わず楽しい空想だけを見つめていたいという。OMORIの殻を被っていればどこにでもいける/いけない。その力に頼るほどWHITE SPACEからは出れなくなる。
まとまらない。多分ずっと「OMORIとはなんぞや」については考え続けるのでしょうね。
3.SOMETHING IN 〇〇とは
これもよく考えると分からんのですよ。
各SOMETHINGが何なのかは曲名を見ればわかる。ただ、あの恐怖症がいつ発症したのかはよくわからない。描写を信じるなら、SUNNYの高所恐怖症は階段を下りられないほど酷いことになるし。
蜘蛛恐怖症と水恐怖症については、SUNNYの死にかけた体験と密接に結びついているものの、MARIが亡くなった後これらの症状がひどくなった、というのは少し飛躍している気がする。
あとDEEPER WELLの謎の声によれば、BLACKSPACEへの入り口はDEEPER WELLの底→灯台→地下図書館→OTHERWORLDの納屋と移ってきたとのこと。
ということは、SOMETHINGによる恐怖があるなら到達できないはずの場所にあったわけだ。実は順序は逆で、夢の中でBLACKSPACEに辿り着くのを防ぐためにSOMETHING恐怖症が発症していた…?いやおかしい。
もう一つ最近気づいたのは、「(MARI以外の)SOMETHINGのテーマは共通」「低音でずっとWHITE SPACEのテーマが鳴っている」ということ。"Arachnophobia"が一番聴き取りやすい。
思えば、WHITE SPACEで手に入れるナイフをSOMETHING戦で必ず使っているのだから、この2つの関係が深いことはゲーム内でも示されていた。恐怖と攻撃性は表裏一体であることを表しているのか。
敵を倒そうと強く握りしめるほど、その対象はSOMETHING「何か」、STRANGER「誰か」と曖昧になっていくわけで。だから有効な対処法はまず落ち着くこと(calm down)、しっかり見ること(focus)、耐え続けること(persist)になる。
4."THREE GREAT CREATURES"について
「OMORIとフロイト/ユング心理学」でも少し触れたが、HUMPHREYはSUNNYの欲望を表す生物(イドの存在)。"The oldest"ということからも、人間が最初に獲得する動物的な本能を表す。
ABBIは”The wisest"という肩書きやBRANCH CORALの言葉から、SUNNYの倫理/理性を表す生物(超自我)。ただSOMETHINGの考察を踏まえると、ABBIがOMORIに襲い掛かる巨大なモンスターのような姿になっていたのも、SUNNYにとって「罪を告白しなければならない」という義務感が重荷になっていたからかもしれない。
そう考えると、真実と向き合う覚悟が次第にできていくTRUE ROUTEでABBIと出会わないのもつじつまが合う。
本来3つ目にあたる「自我」を表す生物はいない。かわりにBIG YELLOW CATはSUNNYの愛着、庇護、安心感を表す。親代わり的な存在であり、戦闘になることもない。ただ、(公園に置かれた遊び道具のコメントを見ると分かるように)離れてみると、意外と小さかったことがわかる。
5.SUNNYがPROLOGUEでステーキを吐いた理由
ときどき「SUNNYが食べたステーキが腐っていた」「電子レンジで温めたのは妄想」など言われているが、(実体験から言わせてもらうと)一日絶食したあとにレンチンのステーキ肉いきなり食ったら吐いてもおかしくない。
SUNNYが階段を下りられなくなってるなら、ほぼ部屋で食事をとっていたのでは?でも母親が外出していなくなったから、腹が減ってるのを我慢して2日ぐらい絶食していたとか……想像するとなかなか気が重いが……
6.SUNNYの両親は犯行を知っていたか
これはゲーム内から確定はできないが、「知っていた」とした方が個人的には納得がいく。SUNNYの母親の描写は少ないが、BLACK SPACEのある小部屋では彼女と思われる銅像が立っている。
いつもOMORI(SUNNY)の方を監視しているが、背後に回ると途端に表情が崩れてしまう。恐らく、SUNNYの母親は外からどう見られるのかを気にする人で、疲労や弱みを見せたくないのだろう。
これと、TRUE ROUTEで聞ける"You are only my son. I can't... lose you as well."の発言から、MARIの死の真相を知っていたが世間体を気にして隠した、と推察した。父親と離婚したのは、SUNNYのことをどうするかで揉めたから…かなあ。
7.白黒のMARIは本物の霊か?
これも肯定/否定どちらでもありだと思うが、あえて主張したいのは「全てSUNNYの想像」説だ。
NORTH LAKEで言われた言葉も想像。TWO DAYS LEFTでピアノを弾いていたMARIもSUNNYの幻覚(HEROが聴いたのも幻聴か、SUNNYが無意識にMARIの真似をして弾いたピアノを聴いたかで説明できる)。当然最後の"home"にいるMARIも、DUETをするMARIも幻想である。
極端すぎると思われるかもしれないが、個人的には「これだけMARIの存在を排除しても話が十分成立する」という点に面白みを感じる。ある意味、そこがこの「OMORI」の物語の特異な点だからだ。*4
ちょっとこの辺で「OMORI」の物語構造の解析に入ろう。
「OMORI」のテーマを一言で要約すると、「自分を許せるようになるか」になる。始まりはOMORIという「他者の形を借りた自分」がWHITE SPACEにいる。終わりではバイオリンを弾き終えたSUNNYが一礼してWHITE SPACEを出ていく。この2つのシーンだけを比較するなら、SUNNYは自分自身を認めて、生きていく道を選んだ、という要約になる。
面白いのは、この要約だとAUBREY、HERO、KELの存在が必要ではなくなってしまうということだ。彼らが最初からイマジナリーフレンドだとしてもテーマは変わらない。何ならトラウマの原因をMARIの死以外にしても、それどころか「これは全部夢だった」(It's all a dream...)としても破綻しない。この物語は結局自分自身と向き合うところが要点なのだから。私たちはそれが(口で容易く言えるのに対し)いかに大変なことなのか、どれだけの苦痛を伴うのかを知るために20時間以上を費やして追体験したのだ。
だがそれとは別に、OMORIはゲームであるから「目的」が必要となる。目的がないゲームは存在しない……「ゆめにっき」でさえ、プレイヤー側には「この世界をもっと探検したい」という目的がある。そして有料のゲームであり、最後まで遊んでもらいたいという狙いがあるなら、「物語のテーマ」とは別にゲーム上のゴールが必要になるのだ。
「OMORI」のゲーム上の目的は最初から提示されていた。
NEUTRAL ENDINGはBASILを救わない/救えなかったルートで、GOOD/BAD ENDINGは彼を救ったルートである。だからある意味、最後にGOODとBADどちらのエンディングを選ぶのかはプレイヤーの「好み」に任せられる(最後のセーブ箇所から簡単にやり直せる)。目的を達成したうえで、SUNNYが自分自身をどうするかはまた別の話だからだ。*5
「OMORI」の物語上のテーマと、ゲーム攻略上の目的はずれており、さらに作中一番セリフが多く、スポットライトがあたるのはAUBREY、KEL、HEROである。「OMORI」からこの友情と、魅力的なキャラクター達を除いて考えることができないのは明らかだろう。私はこのゲームにおける人物の成長と、深い内面と、最後まで説明されないバックグラウンドが好きだ。
この多面体的に組み立てられた構造が、OMORIについて何度も考察したくなる理由であろう。
8. このゲームを終えた直後の感想
できる限り正確に思い出すならば、私がTRUE ENDINGを迎えたあとの最初の感想は「ずるいなあ」だった。
だってずるいでしょ。自分一人で勝手に引き籠って、気持ちの整理がついたらなんでもない顔をして街の中を歩き回ってもう一回寄り戻そうぜって近寄ってきて、挙句の果てBASILと刃傷沙汰起こして病院に連れ込まれて(あの時3人がどんな気持ちで救急車を呼んだのか想像に難くない)、最後が心の準備もできてないであろう相手に「突然だけど真相を説明するね」でしょう?あまりにも自分勝手すぎる。
私はAUBREYたちに相当感情移入してしまっているのでそういう感想が出たが、勿論クリアまでにじっくりとSUNNYの心象風景を見てきたので彼がどれだけ葛藤したのか、こうするほかなかったことは理解できる。しかし、3人の視点からはそんなOMORIとの戦いなんてわかるはずもないし、責められてもしかたないだろう。
9.グッドエンディングの後、AUBREY、KEL、HEROはSUNNYを許したか
先ほどの感想から推察できるだろうが、私は「3人はSUNNYを許さない」という結末をあえて考えてみたい。
HEROがSUNNYのことを許さない、という解釈はよく見かけるが、私は(自分なら許さない、という個人的な気持ちもあるが)ニ度とFARAWAY TOWNにSUNNYが帰ってこれないほど責められ、KELやAUBREYとの友情も消えるという結末もありだと思う。それだけのことを彼はしたのだから。
しかし、いずれにせよ、彼とBASILの関係だけは残るのだろうし、どんな言葉を投げかけられても、SUNNYは後悔を引きずることなく引っ越し先で新しい生活をスタートさせていくのだろう。
そう考えると、やっぱりずるいなあ。
さきほど解析した通り、「OMORI」の物語には実は「他者からの許し」という概念は全く関わらない。SUNNYが真相を話した時点で、彼らがどんな反応をしようがSUNNYの中での気持ちは変わらないのだから。
だから主流の「SUNNYが3人に許してもらえる」という解釈もありだと思うし、エンディング後の4人の友情を描いた2次創作を見るのも好きだ。これに関してはゲーム内での言及は避けられているので、完全にプレイヤーの自由である。
10.どのエンディングが好き/正史だと思う?
まずどのエンディングが正史か、という点だけをいえばGOOD ENDING一択である。"POLLYANNA 2"(MOTHERシリーズのファンブック)に書かれたOMOCAT氏のメッセージはこうである。
MOTHERで私は「愛」でゲームが作れるんだと知った。その衝撃を再現したくて、私は『OMORI』を作りました。「どんな困難があろうと、立ち止まってはいけない」、これがMOTHERが教えてくれたこと。
このテーマに合致するのはGOOD ENDINGだけだ。*6
Steamレビューの中に「わたしが望んだ世界は、リアルではあったが、欺瞞でしかなかった。僅かな救いすら、彼らにはもたらされないのだ。」とコメントをしている人がいた。大げさな表現だなとは思うが、言いたいことはなんとなくわかる。ゲームの説明文では2つの世界をまるで等価に扱っているようで、実はHIKIKOMORI ROUTEはTRUE ROUTEを補完する引き立て役であり、どこまでも暗い世界線なのだから。
HIKIKOMORI ROUTEのいく先、2つのNEUTRAL ENDINGはどちらも中途半端かつ、後味の悪いものとなっている。そしてBAD ENDINGは(HEADSPACEがそうだったように)一番劇的で、印象に残る内容となっている。なんといってもBo EnのMy Timeがここで流れるのだから。
Good Endingの曲"Good Morning"は声の入らないカラオケ版である。この曲の歌詞を見ても、嫌なこと、辛いことがありつつ、それでも起きなければならない朝について歌われている。しかし、ある意味それが人生、現実世界のあり方なのだろうなと思う。平凡な日常を生きているのは私たち自身なのだから、我々がエンディングを歌うのも当然だろう。
全てを終わらせる、ある意味最も「らしい」エンディングであるBAD ENDINGにも惹かれるが、私が好きなのは控えめかつ落ち着いたGOOD ENDINGである。
日本語版くるか?
— OMORI (@OMORI_GAME) 2021年12月1日
— OMORI (@OMORI_GAME) 2021年12月10日
これは日本語版が出るという予告なのか…?
ちなみにここで使われているフォントは恐らく手書き風のフリーフォント「ふい字」に手を加えたものである。
追記:
— OMORI (@OMORI_GAME) 2021年12月11日
いったい何なんだ……
アドベントカレンダーみたいなノリで12/25まで続くのか?
とりあえず、俺は発売前日の台詞が"Everything is going to be okay."になるのに20 dollarをかけるぜ
追記:
— OMORI (@OMORI_GAME) 2021年12月13日
12/16に日本語版が出るという情報が出たが、公式は上のツイート以降止まっている……。
どうなるんだ?
12/16
https://t.co/bx9qr0eYm8 pic.twitter.com/M4yFJ6A4Sg
— OMORI (@OMORI_GAME) 2021年12月15日
surprise!! pic.twitter.com/CehDVyeyyK
— ✩ ems (@dearprotagonist) 2021年12月15日
surprise!!! pic.twitter.com/pMcyqv749G
— minced (@mincedmint) 2021年12月15日
surprise! https://t.co/Bn6Gx0vnug pic.twitter.com/7YvIdrDYjQ
— OMOCAT (@_omocat) 2021年12月15日
Switch版きた!
「ハート直撃の大ホームランだ!」
元の2020 Trailerで"What will PLAYER do?"となっていたのが、「サニーはどうする?」に変わってますね
今まで公式からSUNNYの名前が出たことはない(デフォルト入力画面のみ)はずなので、ちょっと驚き
*1:POLLYANNA2 (ほぼ日刊イトイ新聞刊, 2021年10月)より。
*2:Playstation 2のアメリカでの発売は2000年10月であり、ギリギリ間に合わない。当時DVD再生機器がほとんど普及していなかった中、Playstation 2がDVDビデオ再生機能をつけたことで爆発的にメディアが普及した背景がある。そのため、KELが「このDVDはいくつも家にあるし、埃を被っている」と言うのは2000年だとしたらかなり先進的だ。
*3:教会は残響が多く、小規模な演奏会の会場に選ばれることは珍しくない。
*4:以下チラ裏。
ゲーテの「ファウスト」に書かれた「永遠に女性なるものが、我らを高みへと引き上げ、昇らせてゆく」以降、20世紀までの文学において、「男性が女性の真の愛により救われる」というテーマはあらゆる場所にあらわれるようになった。いわゆるファム・ファタル、男性を破滅させる悪女という概念はその反転、カウンターである。なんなら近代~現代日本の文学でもこの類型に従っている物語は多い(MOTHER3も含めることができるだろう)。
しかし、本当にその雛型に沿うだけでよいのか。女性を愛や救いと結び付けるのは正しいのか。何より、男性を罪から救うのが女性の愛というのは、もはや現代では正しくないか。そう考えると、「OMORI」でSUNNYを救うのはMARIではない、というのは非常に新しい。
*5:BAD ENDINGの場合、起きてSUNNYの顛末を知ったBASILが絶望して後追いする可能性も十分あるが、それはSUNNYのあずかり知らぬ話である。
*6:初めてこのゲームを遊んだ人の大半はGOOD ENDINGに辿り着くだろうが、分岐条件だけを見ればGOOD ENDINGが一番条件が厳しい。ゲーム中にはこのエンディングになるよう巧妙に誘導が仕掛けられており、2周目以降それに着目すると舌を巻かされる。